患者さんの立場に立とうとすることの大切さ


先日、愛知県刈谷市で

「立位・歩行につなげるためのクリニカルリーズニング」をテーマにセミナーを開催してきました。


若手セラピストも多く、特に理学療法士が関わることが多い「立位・歩行」の基礎知識を実践でどう活用していくか?


を重視して行いました。


写真はその様子です。


「椅子の上に左脚だけで立ち、右脚の支持感・荷重感覚がない方にどうやって安定・安心した情報を提供できるか?」


を実技でデモしている様子です。



右脚だけしっかり支えれば良いんでしょ?



そう思いますよね?



まさにそうです(笑)




でもやってみれば分かります。


その「しっかり支える」ってゆうことの難しさが。


しっかりって何?

支えるって何?


どこでどこを支えるの?



なんてことがイメージでき、実践できなければ実現できません。




参加者の方にももちろんやってもらいます。

被験者の方は謎の姿勢になっていますね(笑)


やる側はしっかり支えるつもりでも、もしかするとそれが脚を引っ張ったり、骨盤がグラグラする外乱になっていたりします。




皆さんやることに一生懸命になりがちですが、大事なのは意外にも被験者側なんです。


患者さんはもしかすると右脚がどこにあるか分からないまま動かされてるかもしれない。


あの患者さんの「怖い」ってゆう言葉はこうゆう体験をしていたんじゃないか?


だからあの患者さんは手すりにしがみついていたんだ


って。


介入を受ける側になって初めて気づくことができます。実体験を通じてしか分かりません。

「転倒恐怖感」という言葉も頭で理解しているのと実体験をしているのでは、その言葉の重みが違います。




姿勢、運動パターンや行動には、必ず意味があります。



手すりにしがみついている方も、しがみつかざるを得ない理由があるはず。


立つのが怖い、歩けないという方も、そう感じる理由や経験があるはず。



そうゆう方に、ただ「手すりから手を離して!」とか、怖いまま立つ、歩くを繰り返すことは良いことなのでしょうか?




廃用予防だ!立たなくなったら立てなくなるでしょ?


と一見正しく聞こえますが、それで立つことや歩くことが嫌になったら本末転倒ではないかと思う訳です。



なぜ手すりにしがみつきたいのか?

なぜ立つことや歩くことが怖いのか?



この行動や言葉の背景にある問題を見つけ、解決することが僕らの役割。



自分の大切な人が同じ状況になっているとき、無理矢理立たせ、歩かせますか?